追憶

3年前の今日,私は友人を亡くした.

優秀な高校の英語教師だった彼女とは修士課程で知り合った,お互い忙しい身,授業の時しか顔をあわせなかったけど,彼女の人柄,そして何より教員としての意識の高さに尊敬の念を覚えた.社会人になってから,このような素晴らしい人とめぐり合い,友人となることができたことを心から喜んだ.

ある4月のはじめ,授業を終えて夜帰る際に,「明日,授業初日の準備をこれから帰ってしなきゃ,今日徹夜になるかも」と言った彼女に,私は「○○さんくらいベテランになれば.そんなに必死にならなくても,何とかできるんじゃない?」と少々疲れが見えている彼女を気遣ったつもりで言った.

すると,

「高校生には,初日で”この先生についていけば絶対何とかなる”と思わせることが大事なの.だから,綿密な準備はかかせない.そうしなきゃ,彼らからみれば,私はただのおばさんよ」と彼女はきっぱり言い切った.

私のDの際も,まだ草案段階で彼女に「**をテーマにしようと思うのだけれど」と言うと,すかさず「それは英語教育では絶対大事なトピックよ,がんばって!」と励ましてくれた.まだ,海のものとも山のものともわからない段階だったので彼女のコメントにどれほど励まされたか.

Dのパイロットスタディにも参加してもらった.パイロットでは,信頼できるフィードバックをもらうことが何より大切だからだ.当時彼女はすでに病気を抱えていて,療養中だったが「体調のいい日に少しずつやってみるわ」と言ってくれた.

パイロットも順調に終わり,本スタディにも参加してもらうはずであったが,3月に国際学会から帰国した私に一通の手紙が届いていた.それには「体調が悪く,リサーチの件も途中で降りるより,今降板したい.ごめんね」と書いてあった.普段の彼女からは想像できないくらい字が弱々しかったのが気になったが,「また,体調がよくなったら別の研究でアドバイスしてね」と返事を返した.その当時は,彼女がそれほど具合が悪いとは思わなかったのだ(また,そういうことを感じさせる人ではなかった.最期まで...)

それから1ヶ月後の4月29日,彼女は永遠に帰らぬ人となった.

私はDを終えることができたのは,ひとえに彼女の名前をDの謝辞に残して出版したいという思いがあったからだと思う.彼女という優れた教師であり,母である人が存在したということをとにかく記録に残したかった.Dで落ち込んだ時は,そのことだけが支えになってくれた.

今でも何故,彼女のような人が亡くならなければならなかったのか,納得できない.きっとずっとわからないだろう.でも,ひとつだけいえることは,もっと生きたかった彼女に対して,残っている私は自分の人生を彼女に恥じないものにしなくてはならないと思う.
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by redsunflower | 2006-04-29 09:48 | Trackback | Comments(1)

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Commented by noname at 2006-04-29 09:54 x
そうおもいますよ☆