白骨の御文

先日親戚のお葬式に両親とともに参列しました。

宗派が異なっていたので、「白骨の御文」が拝読されることはなかったのですが、

人の死を間近にみると

この御文を思い出さずにはいられません。



夫(それ)、人間の浮生(ふしょう)[1]なる相をつらつら觀ずるに、おほよそはかなきものは、この世の始中終(しちゅうじゅう)[2]、まぼろしのごとくなる一期[3]なり。

されば[4]、いまだ萬歳(まんざい)の人身(にんじん)をうけたりという事をきかず。一生すぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形態(ぎょうたい)[5]をたもつべきや。我やさき、人やさき、けふ【今日】ともしらず、あす【明日】ともしらず、をく【遅】れさきだつ人は、もとのしづく、すゑ【末】の露(つゆ)よりしげし[6]といへり。

されば、朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて夕(ゆうべ)には白骨(はっこつ)となれる身なり。すでに[7]無常の風きたりぬれば、すなは【即】ちふたつのまなこ【眼】たちまちにとぢ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔(こうがん)むなしく變(へん)じて、桃李(とうり)のよそほ【装】ひをうしなひぬるときは、六親眷属(ろくしんけんぞく)あつまりてなげ【嘆】きかなしめども、更にその甲斐あるべからず。

さてしもあるべき事ならねばとて、野外にをく【送】りて夜半(よわ)のけふり【煙】[8]となしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこ【残】れり。あはれといふも中々をろかなり[9]。されば、人間のはかなき事は、老少不定(ろうしょうふじょう)のさかひなれば[10]、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀佛をふかくたのみまいらせて、念佛まう【申】すべきものなり。 あなかしこ、あなかしこ。


ウィキペディア(Wikipedia)

母は太平洋戦争で3人の兄を1年のうちに亡くし、気落ちした自分の母親までが同じ年に病死してしまい、一年で4度家からお葬式を出したそうです。

母が十代のまだ少女の時のことでした。

お葬式のたびに、この白骨の御文を聞き、涙したといっていました。

合掌。
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by redsunflower | 2009-08-08 12:47 | プライベート | Trackback | Comments(2)

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Commented by 三ねんせい at 2009-08-10 23:52 x
兄弟三人も戦死とは,いたましいことです.
お母様もお祖母様もさぞお辛かったこととお察しします.

「白骨の御文」は,親類の葬儀のときに聞いたことあります.紅顔が白骨になる人生のはかなさをあらためて感じました.
いつかは終わる命,戦争で白骨になることなく,生きた甲斐のあるものにしたいですねえ.
Commented by redsunflower at 2009-08-18 13:27
三ねんせいさま コメントありがとうございます。日本が戦争していたのは、遠い過去のようですが、親世代はまさにその時代に生きていたのですね。戦争を知らない時代に生まれたことに感謝しなければ。。。また、戦争をはじめない(巻き込まれない)ように責任ある政治を求めなくては。。
子どもの時、母の実家の仏間に軍服を着た若い亡き兄たちの遺影がずらりと並ぶのをみて、悲しい気持ちになったのを忘れないようにしなくては。